「夜儲ける店」の話
昔、実家の前の国道沿いは商店街だった。
私が子供の頃すでに寂れ切っていたが、
今はその国道ごと新しくできたバイパスに持っていかれたせいか酷道の様相も呈してきているので、
さらに信じられないかもしれないが、
とにかく、寂れ切っていたとはいえ、素敵な店も残っていた。
その中のひとつ、古くて汚い、知らない人が見たら痴漢にあいそうなバスターミナルの2軒となりに立っていたのが、
我が家で
「夜儲ける店」
と呼ばれていた「マルナカ」(仮名)だった。
当時、長兄が中学生か高校生、
ということは私は幼稚園くらいだったのだと思うが、
とにかく夜、兄や友達たちが学校帰りにマルナカで買ってきたであろう、
大きなコーラの紙カップ(たしか昔は牛乳パックのような形で上をクリップで止めるものが特大サイズ用だった気がする)や、
アメリカンドック、たこ焼き、フライドポテト、アメリカンドックなどが、
とてもとても大人っぽく、
うらやましく、
ああ、早く私も中高生になりたい!
自転車に乗れるようになり、学校や塾帰りにマルナカに寄って買い食いしたい!
と思ったものだった。
当時の私のアイドルは、沖田浩之だったか、マッチだっただろうか。
とにかく学ランがいいな、ブレザーなんてありえないと思っていた。
もちろんカバンはお湯につけて軽くつぶし、制帽はぼろければぼろいほど格好いい。
私は肩にワッペンのあるセーラー服を着て、ネクタイを無駄に細かくハリセン状に折って、リボン結びにしてやろうと決めていたものだ。
聖子ちゃんカットという名前はまだ知らなかったが、
左右のサイドをはねた型までくらいの上方にしたくって、
ふろ上がりに父の七三分け用くしで濡れ髪を無理にとかしつけようとして、
ポマード臭い幼児になったりして憤慨したものだ。
そんなに中高生にあこがれていたのに、
いざなってみると、中学2年時の遅刻回数100超えで、
高校に至っては1年の1学期でやめてしまったので、人生わからないものである。