そういえば、あれなんだったんだろう?

ロックンロールな町でのできごとのあれこれです

自称コーチ

以前、子供と野球を見に行って、一塁も三塁も三振もフォアボールもわからず、卒倒しそうになったことがあった。

「習ってないから」と君たちはいうが、
そんなものは一般常識として人生のどこかでおぼえるものではないか、
と、母として思った。

が、はたしてそうか。

私は、野球チームにも入っていなかった田舎のいち女子であるのに、
バットを正しく振ることができるなあ、
と、思い至った。

誰かに教わったからだ。

そうだ。

うちの町には、熟柿の匂いのする自称コーチのおじさんがその当時複数名いた。

今思えば人生のFA宣言中だったのだろう。
おそらく、去年の上原みたいな状態だ。

コーチはだいたいパリーグの球団の帽子を被り、
痩せてる人も太っている人もいたが、

たいてい顔色が黒く、サングラスをしていた。

足元は雪駄が多かったように思う。

なので走塁の指導はしない。

私達が三角ベース風に庭球ボールをプラバットで打っているところに現れては、
チャンスで打てない低学年をやじり倒したり、
トンネルをした低学年のために試合中いきなり打席に立ち、ノックをはじめたりするのだった。
そう、基本がなってないのが許せなかったのだ。

私達は、おじさんたちが横暴でも、
何もいわなかった。

おじさんたちのかける西部警察みたいなサングラスにみとれていたのでも、
まず初動がキレ気味だったことに圧倒されていたのではなく、

やベー。おもしろいのきた!!!


と、登場を心待ちにしていたのだ。
切れ気味の酔っぱらいのおっさんが、
三角べースに乱入してくるという緊張と、
ノックを打ちながら、思いっきりすっころぶ、という緩和に、
あのころ震えながら爆笑したものだ。

…というクソガキ的な感想ももちろんあるのだけれど、単純に一緒に遊んでくれる大人が単純に好きだったんだろうと思う。

おじさん達は、ファッションリーダーが私服の仰木彬なので、全く子煩悩には見えないのだが、
おじさんのがんばりのおかげで、公園内の子どもらのスキルが底上げされ、どんなにみそっかすなメンバーしかいなくても、我々の公園では野球が成立するようになっていたのだ。


ちなみにわたしは、自転車のハンドルいっぱいにブザーをつけているおじさんが、一番好きだった。
自転車のブザーは徐々に増やしたらしく、ボロッボロのものも混じっていた。
うっかりブザーを鳴らそうものなら、ダッシュで公園から逃げないといけないくらい怒られた。
わたしはそんな根性はなかったが、当時小学校中学年の現役のやんちゃだった兄と友達が毎回鳴らしては、脱兎のごとく家に逃げ帰っていた。
「きさま!」と叫び、公園の出口まで追いかけるおじさん。わたしは「さんまいのおふだ」のやまんばのことを毎回思い出しながら、恐ろしい思いでそれをみまもっていた。

たまにだれかのばあちゃんがいたりすると「子供相手にそんなに怒っちゃいかん!」とさらにおおきい声で一喝されていた。
それがアイスブレーキングトークとなり、木の影でばあちゃんと長々身の上話をしている回もあった。

しばらく来ていないと、どうしたのかと、子ども一同内心心配した。
だから、久々にあらわれると、公園にあふれる子どもたちは一気にもりあがった。

入院してた、とか、そういうことを言っていたような気がする。

だから、姿をみせなくなってからしばらくして、みんな「あの人は死んだ」と言うようになった。
もちろん、ウェットな感情は一切ない。
事実としてだけである(うわさだけど)。



そうした自称コーチのおじさんのおかげで、わたしはバットを正しく振れるのだ。